第51番 石手寺
2008年1月26日更新
第51番 石手寺 (いしてじ)
2008年1月13日巡礼
松山で一番有名なお寺でしょう。
四国八十八カ所霊場としてだけではなく、市街、道後温泉にも近い事から、参拝者も多く、いつも賑わっています。
過去何度か来ているのですが、不思議な事に外国人と来る機会が多かったお寺です。
ここは四国八十八ヶ所遍路の基となった、河野衛門三郎伝説由来のお寺です。
(詳しくは番外札所 第9番 文殊院をご参考ください。)
河野衛門三郎の没後、道後湯築城主 河野息利の妻が若君を生みました.
しかしその子は生後三年たっても、左の手を握ったままひらきませんでした。
そこで近くの安養寺の住職が祈祷したところ、ようやく若君の手がひらき、手の中から「衛門三郎再来」と書かれた小石がころげ落ちました。
人々は衛門三郎の生まれ変わりだと感激し、その石は寺に収められ、安養寺は石手寺と名を改められました。
その若君は息方と名づけられ、その後成長し領主として善政をしいたと言われています。
石手寺には名物の焼き餅があり、参道の出店で売っています。『水曜どうでしょう』では大抵、大泉洋さんが「石手寺名物、焼き餅!」と言いながら食べています。この焼き餅、作っているお店にもよるのですが、参道の出店のものは、香ばしくてとても美味しいものでした。
本堂裏の地下に洞窟があり、地獄や極楽の絵や、たくさんの仏像が納められています。
左より 参道 本堂 三重塔
左より 大師堂 納経所前(いつも参拝者でにぎわっています) 石手寺名物の焼き餅